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潮田侑樹ピアノ・リサイタル(於:目黒パーシモンホール)

まったく独特の視点を持つ奏者である。楽曲によって表情を様々に変えていくが、それと楽曲の持つ既視感とを必ずしも合致させていかないのである。

モーツァルトのピアノ・ソナタ第13番はリズムの冴えと強いうねりが相俟って雄弁なモーツァルト像を作り出す。そして続くベートーヴェンでは、ピアノ・ソナタ「熱情」を何とアンニュイに彩る。葛藤や激性という形容で語られることの多いこの曲で、退廃感を醸し出すという対極的なアプローチが斬新であり衝撃的でもあった。

対極といえば後半のスクリャービンのピアノ・ソナタ第5番では敢えて多声性に背を向けていたし、ドビュッシーの2曲「夢」と「月の光」を表題のイメージから解放し、一篇のモノローグのように綴った。これらを聴くと、楽曲の耐性を実験的に試みたのかとも思わせるのだが、この人のもう一方の特質である隙のない技巧がラヴェルの「夜のガスパール」で発揮され、ここでは作品への埋没を回避するスタンスが「楽曲に忠実」な音楽としていた。

「音楽現代」

 

アルフレード・カセラ国際ピアノコンクール評

昨年(1998年)の12月、ナポリで開かれた第18回アルフレード・カセラ国際ピアノ・コンクールは、いつもと違ってあっけなく優勝者が日本人と決まった。審査委員長は、ナポリ生まれのピアニストのチッコリーニ。「国際」と銘打ちながらいつも地元ナポリのピアニストをひいきにする審査員たちがこぞって青柳晋(すすむ)を推すので私の出番は全くなかった。

このコンクールは、一次・二次の予選を経て、本選で協奏曲を二曲弾くのだから、参加者はコンサートを四つ分、暗譜で用意しておかなければならない。それは数多くの演奏会をこなしてきたベテランにだけ可能なことだから、このコンクールが「ピアニストのためのピアノ・コンクール」と言われるのもそのためだ。参加者がわずか20人なのも過酷だからだ。

一次予選で六人が選ばれた。青柳と潮田侑樹は文句なく「シー」で通ったが、一番人気はウクライナのポリアンスキーだった。二次予選で三人になり、ポリアンスキーはシューベルトのソナタが不評で落ち、天を仰ぎ涙を流した。青柳と潮田とナポリの女性ピアニストのイレーナ・ルッソが残った。予選で最高のイタリア音楽を演奏したピアニストに与えられる「ヴィンツェンツィオ・ヴィターリ賞」は、リストの「ヴェネツィアとナポリ」を圧倒的な音量とナポリ民謡をベル・カントで弾いた青柳に全員一致で与えられた。イタリア人以外がこの賞をとることに珍しく異議が出なかったのも、彼の「ナポリ節」が地域を越えて普遍性を得たからだ。それは作曲者リストの思いでもあった。

さあ、本選だ。
会場がナポリ・コンセルヴァトリからサン・カルロ歌劇場に代わった。サン・カルロは、「世界で一番美しい歌劇場」といわれるように、手すりが深紅のベルベットで覆われ、柱は金塗りで、バロック調のデザインがさまざまな色彩で彩られている。審査員席は皇帝の桟敷だ。噂を聞きつけたナポリの音楽ファンが会場一杯に集まって、二日間にわかる熾烈なコンクールを楽しんだ。

本選一日目は全員がモーツァルトの協奏曲を弾く。潮田の「K595」が最高。このモーツァルトの最後のピアノ協奏曲の主題を潮田が弾き始めると、それまでヴェルディ的な伴奏音楽で騒いでいたオーケストラも、たちまちテンポがそろい、音程がそろい、コンサートとして聴かせる音楽に変わっていった。うるさいナポリの聴衆も「ブラヴァー」の大声とともにドンドンと足で床を叩いて大喜びだ。本選二日目は、青柳はベートーヴェンの「第3番」を、ルッソはブラームスの「第2番」を、潮田はチャイコフスキーを弾いた。ここでも日本勢が圧倒的に上手く、完全に日本人二人の争いとなった。

別室で最終審査が行われ、「青柳の力をとるか潮田のセンスをとるか」に分かれたが、コンクールの性格上、実力本位で青柳が優勝。ここでイタリノの審査員たちから「二位はなしにしよう」と思わぬ意見が飛び出して紛糾。結局「民主的に決めよう」と7人の審査員の多数決で二位はなく潮田とルッソが三位になった。だが、日本人二人がこのコンクールに与えた音楽的な衝撃は大きなものがあった。日本に生まれベルリンで学び、同じ環境に生きる二人が、それぞれに全く温度差の違う音楽を聴かせてくれたからだ。このとき、地球が穏和な南半球と峻厳な北半球で出来ていることを思い出した人も多いだろう。特に潮田の繊細で知的で清楚で色彩的で親密な響きは、一筋の黄金の光となってすべての人の心の奥にまで達するものであった。

青柳はこの1月に紀尾井ホールで、潮田は2月に春日井の中部大学キャンパス・コンサートで、それぞれ入賞記念帰国コンサートへの出演が決まっている。潮田は、むろんリサイタルの第1部にコンクールの予選で絶賛を浴びた数曲を弾く。

~アルフレード・カセラ国際ピアノコンクール審査員:鶴田正道・中部大学教授~